信仰の自由と信仰にコントロールされないこと

信仰の自由と信仰にコントロールされないこと

弱い人間である以上「何」かに力を求めたり、頼ったり、救いを求めることは普通のことだと思います。その対象が何かの信仰(宗教)であることは少なくない話ですね。信仰がなくても窮地の時に心の中で「神様」と一度は祈ったことがある人は多いことと思います。

宗教を否定しませんし、信仰することで精神のバランスが保てるのであれば心強いことです。ただ、ここで問題となってくるのが宗教によって神が違っていたり、神の教えが違うことです。

あるアットホームな企業さんでは、12月のクリスマスに社員さん一人一人にケーキをプレゼントしてくれます。この企業さんがクリスチャンでも何でもなく、社員さんたちへの心配りです。ある宗教ではクリスマスのお祝いはタブーとされているので、会社からのケーキのプレゼントをもらうことに抵抗があることを禁じ得ないのです。

社員さんへの思いやりという善意を否定する見えない存在はあるのかと思ってしまいます。人間は神の子と言われますが、「父」は子の幸せ、喜びを願うはずです。


ムンド・デ・アレグリア学校HP
http://www.mundodealegria.org/