因果
2024年09月26日
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良い種をまかないと。。。。
間違った考え、行動に気を付けないと。。。
良い芽は出ません。
良い結果につながりません。
そんなことを見せつけられる今日この頃です。
思考回路
2024年04月25日
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電気回路を間違うと電気がつかないように、思考回路が異なると
話がまとまることがない。。。
電気が「パッ」とつくと気持ちよく、心も明るくなります。。。でも、人間の
回路はこの「パット」がなかなか。。。。
日本人同士でも、価値観、歴史観、生きてきた環境、経験、知識、等々、
様々な要因で異なることがあります。こと外国人となると思考回路が
合うことの方が少ない。。ですね。。。ある程度で諦めないと着地でき
ません。。。。。日々体験してます。。。
多文化共生、、、綺麗な言葉とは裏腹にドロドロです。。。
また一つ忘れられない言葉。。。
2024年01月23日
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南米の学校である本校は2月から新年度となり、1月が修了式、卒業式となります。
本校の卒業式は、幼児部・小学部と中等部・高等部にわかれています。
先週末、中等部・高等部卒業式を執り行いました。高校を卒業する生徒たちは、
日本で進学、就職、そして母国で進学と、それぞれの道に旅立っていきます。
在学中はいつもおちゃらけていて、ひょうきんな生徒だった高等部の卒業生が、
式の終わりに私のところへ来て、「先生、僕はムンド校がなかったら勉強できな
かった、ムンド校があったから希望の専門学校にも入れた。本当にありがとう
ございます。」と。
また一つ宝物が増えました。
ムンド校の日本語教育
2023年12月18日
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本国カリュキュラムで母国語教育を行う外国人学校にとってハードルは
高いのですが、日本語教育の大切さを伝え、南米の子どもたちの将来
の選択肢を考え日本語教育を真摯に行ったきました。
そして、母語教育と日本語教育両輪を行うことは、倍のコストがかかり
経営的にはやりくりが大変なことでしたが、迷いはありませんでした
多くの失敗も良き経験となり、非漢字圏である南米の子どもたちに
効果的な方法を探求し、ムンド校独自の指導法を確立しました。
そのムンド校の姿勢とこれまでの実績を評価いただき、令和5年度
の日本語部門文化庁長官表彰受賞となりました。これまでのスタッフ
の努力が報われたことと、私たちの「想い」が評価されたことに感謝で
いっぱいです。
まさにムンド・デ・アレグリア(歓びの世界)です。
伝える難しさ。。。
2023年12月01日
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同じことを言っても受け取る側でとらえ方が違うことがままあります。
受け取る側のフィルターが違いますし、お互いの信頼関係、距離でも
影響があります。
「伝わらない」ことも少なくないですから、「伝えよう」と執着するよりも
距離をとったり、時間をあけたりする必要があるかもしれません。
でも、一番肝心なことは、何を大事にしているか、どこに軸足をおいて
いるか、ということだと思います。そこが異なると交わることはかなり
難しい。。。。
日本にある外国人学校として
2023年11月30日
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ムンド校設立のきっかけは、目の前で困っている南米の子どもたちに
「学ぶ歓び}を知ってほしい、「日本に来てよかった」と思えるような環境を
作ることでした。そのためには、母国語で学習し年齢相当の学力をつけ、
日本語学習をし、生活する日本で不自由を感じることのないように知識を
つけ、日本社会に溶け込めるように、と目指しました。
始める時に、誰もがそんなこと成功するはずない、とか、すでに存在していた
ブラジル人学校の人たちにはブラジルに帰国するための学校だから、と」
日本語やるのは、、、とか、日本語教育をするとコストが倍かかるから経営
が成り立たない、とか様々なことを言われましたし嫌がらせもありました。
日本にある南米の外国人学校として母国語教育と日本語教育の両輪は、
私にとってはゆるぎないものでした。それをやらなければ出稼ぎの親たち
についてきた子どもたちの未来の可能性が小さくなっていくと強く感じて
いました。
カリュキュラムがブラジル、ペルー本国の教育指導要領に従い、さらには
日本語教育を年齢・レベルに応じて行うとなれば人件費もままなりません。
さらには、閉ざされた学校(南米社会)を作るのでなく、社会と交わり開かれた
学校にするためには、地域や様々な団体と交流は不可欠でした。
この道を信じ、軸足を日本において、創立して20年。結果が少しずつ現れて
きています。共に日本で暮らす仲間として、それぞれが日本を大事に思って
くれ、日本に来てよかったと思ってくれたらムンド校の存在意義は小さくない
と思います。
日系校
2023年11月28日
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10月ペルーで開催された国際セミナーは、初の試みとして中南米諸国で日本語教育に
携わっている人たちを集めた研修セミナーでした。普段は研修生それぞれの母国で
日本語教育、日本文化を教えている指導者たちが集まりました。ブラジル、ボリビア、
パラグアイ、チリ、メキシコ、ドミニカ共和国、アルゼンチン、ウルグアイ、コロンビア、
ペルーからの参加でした。
研修生それぞれの母国での活動を聞くと、皆、日本から遠く離れたところで、限られた
教材そしてブラッシュアップできる研修現場もない中で、試行錯誤しながら日本語教育
を行っていることを知りました。日本語教育ですから、日本語という言語に限らず、日本
の文化、習慣を教えているとのことでした。
開催地のペルーには日系人中心の日系学校がいくつかあり、そこでは当然日本語教育
は必修となっています。日系人でなくても日系校の日本的な教育が良いということで日系人
ではない生徒も少なくありません。今回のセミナーの開催場所となった「ラウニオン校」も
日系校を代表する学校で、日本語指導する先生たち全員がセミナーに参加していました。
実際のラウニオン校での日本語指導の向き合い方もうかがい、とても印象に残ったのが
古き良き日本を維持していることでした。日本人の私が懐かしく、温かい気持ちになる
時間でした。
ややもすると渦中にいるよりも外からの方が日本を大切に思ってくれるのか、とも思いま
した。
10年ぶりのペルー
2023年10月09日
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10年前までは学校の大切な手続きのことで何回もペルーに行きましたが、
結局それが叶わず、深い失望のもと二度とペルーに来ることはない、と心に
決めて日本に戻った時のことを今でも記憶に刻まれています。
今回ペルーにいく機会を与えてもらい、目的は異なるのですが葛藤はあり
ました。しかし一方でペルーへの想いもあり10年ぶりのペルーの地を踏む
ことになりました。
10年ぶりのペルーの友人たちとの再会、ペルーでの仕事、短い時間では
ありましたが中身の濃いものとなりました。忘れていた肌感覚も再確認し、
これは日本に戻ってからの外国人との関わりに活かせるものとなりました。
日本は本当に美しく、日本人であることを誇りに思える、ということを再び
深く実感できる機会となりました。
学校運営
2023年09月22日
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あるセミナーへ出席をして、「学校運営について話をしてほしい」との
依頼を受けました。普段は日々の雑務、トラブル、様々なことに追われ
て、一日一日をやり過ごすことで精一杯ですが、ムンド・デ・アレグリア
学校という旗を立てて、その根底にはゆるぎない気持ちがあります。
ムンド校を運営することにおいて、私が一番大切だと思っていることが
ムンド校は何のために、誰のために存在する、という、「国」で言えば
「国家観」いうのようなものです。
これを持たないと、ブレるし、根幹となる柱が立ちませんし、リーダーと
して先頭を歩くことができません。国、とは違い、小さな団体の先頭で
すが、守るべきもの、譲歩しなければならないこと、が明確でなくなって
しまいます。
自らの想いが正しいかどうかはわかりません。正しいかどうかは時と
ともに結果にあらわれてきます。
「ムンド」の旗を立てるということ。。。。
2023年09月20日
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20年前ムンド校を開校したきっかけは、地元のペルー人の親たちに
「日本の学校では日本語がわからず勉強ができない、母国語を学習
する機会がないから母国語が出来なくなり親子の会話ができない」
との切なるうったえでした。目の前の困っている子どもたちにできる
ことを、、と始めたのです。
本当にシンプルに、母国語で学習を積み上げ、第二言語として日本語
習得をする教育機会の提供でした。シンプルなことを行うのですが、相手
は「人」であること、そして異なる文化・習慣・歴史を持つ相手であること、
さらには、留学生のように望んで来日したわけではないこと、を身をもって
知ることになっていきます。様々な問題、軋轢、ジレンマ、理不尽、等々が
押し寄せ、多くのことを経験し学ぶことになりました。
どれだけ失敗を重ねて、どれだけ痛い目にあって、どれだけ悔しい思いを
して、たどり着いた答えは「相手は変わらない、自分が変わる」というもの
でした。
巷では「多文化共生、異文化理解」など何かそれがいかにも良きことのように
言われていますが、私も多文化共生に向き合いましたが、私がたどり着いた
結果は多文化共生は無理ということでした。外国人側からの問題、そして
日本人側からの問題、両方があります。
しかし、無理とわかったから諦めるということではなく、対応、対策をうつことが
大事なのです。そこには自分が変わるということ、がキーになります。そして
自分が無理をしないようなやり方でなければなりません。
同じ地域に暮らす者同士がうまく共存できることが理想です。そして大前提は、
ここは「日本」であるということです。「ムンド」という旗を立て、共に日本という
国を壊すことなく、維持していくための旗です。外からその旗を倒そうとする力、
中からも。。。しかしながら、確実にその旗を支えてくださるたくさんの善意が
あります。その「想い」だけは絶対に裏切ることはしたくないです。
納得いかない。。。こと。。。
2023年08月30日
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知り合いに私の連絡先を聞いたと、ペルーに住む人から相談のメールが
ありました。相談の内容は、その人の父親が日本で働いて母国ペルーに
帰国し、年金を受給していたのですが、2年前に父親が亡くなり、引き続き
年金の支払いがあるので、支給を止めるのはどうすればいいか、というこ
とでした。
通知書の写真をメールで送ってもらい、年金事務所にたずねたところ、
「日本人の場合は住民登録で生死を確認しているが、外国にいる人は
確認できない。」と。私は、「それでは永久に支払われるのでは?」と
聞きました。すると、「死亡の確認がとれないと。。。」ということでした。
「支給を止めるにはどうすればいいですか?」と聞くと、「年金手帳の
番号が必要で、どなたかがそれをもって年金事務所に行き手続きを
きいてください。」とのことでした。なので、その旨を連絡してきた人に
伝えると、「そうですか。わかりました。」と返信がありました。
そもそもこちらに手続きを頼める人がいるのであれば私に連絡して
こないだろうな、このまま支給が続くのだろうな、と、なんとも腑に落ち
ない、納得いかない気持ちです。このようなシステムでいいのでしょうか。。。
もやもや。。。。
2023年08月11日
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日本では、ケガや病気、緊急の際には救急車を無料でよぶことができます。
有難いことです。しかし、この「無料」というのは税金でまかなわれているので
利用する時に負担をしなくてよいわけです。
海外では救急車をお願いするときは料金を負担しなければなりません。例えば
アメリカニューヨークでは1回約3万9千円かかり、オーストラリアシドニーでは1回
約3万6千円プラス1Kmごとに330円かかります。では、日本ではどうかというと
1回出動すると約4万5千円かかると言われています。自己負担はないですが、
この金額が皆の税金から負担されていると思うと、本当に緊急でないと簡単に
よべないように感じています。
ペルーの友人が数年以上前に30代の若さで突然亡くなりました。前日まで元気で
突然夜にお腹が痛くなり、彼の場合支払っている保険の関係で救急車をよべず、
家族が病院に運んだのですが、結構な時間たらい回しで、翌日亡くなりました。
救急車で運ばれていれば、必要な処置ができて助かったかもしれないと、日本
だったら、、、と思ったことを覚えています。
生徒がケガや病気になった場合、度合いに応じて学校でも救急車にお願いすること
があります。そこには常識、良識の判断があります。そして、必ず保護者にも連絡を
いれますから、緊急性がみられない場合は保護者を待って病院に連れて行ってもら
うか、保護者がすぐに学校に迎えに来れない場合は学校から病院に連れていきます。
明らかに緊急性が見られなかったのに、家族に連絡をいれると、救急車をよんでくれ、と。
いえ、緊急性がみられず休ませているので学校に迎えにきて病院に、とお願いしましたが、
救急車、救急車、と。。。。素人ですから一応救急に電話をして状況を詳しく伝えると、
念のためいきます、と。。。
う~ん、、、なんとももやもやが残りました。。。本当に困った人が使えなくなると困ります
から、救急車を有料にするべきとは言いませんが、結果救急出なかった場合は自己負担
にすべきと思います。
日本は保険も福祉も南米よりすぐれていますから安心、安全で暮らせますが、乱用というか
権利だけを主張することはとても違和感があります。
すてきな笑顔
2023年07月14日
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今年卒業したブラジル人生徒の一人。。。
親の都合で日本の学校に入り、いろいろと大変なことを経験し、外国語である
日本語での授業に苦労し、そして今度は幼い頃からポルトガル語の読み書き
をやっていないのにポルトガル語で授業を受けることになり、当然同級生とは
圧倒的な違いでビハインド。。。
どちらでも成功体験がなければ自らの将来に希望を見出すのは難しいことです。
ポルトガル語の授業に悪戦苦闘しながら、、、悩みながら繊細な心が壊れない
ように、学校と保護者と何度も何度も話しをしながら、その生徒の将来の一筋
の光を見つけたいとやってきました。
授業がわからなければ学校に来たいという気持ちにはなれないでしょうし、過去
の時間を取り戻ずことは至難の業です。。。
高校三年生になり、やりたいことが見つからない、わからない、と、、、まだまだ
暗い状況で、いろいろな話をしていく中でようやく興味のあるものが見つかり、
専門学校への進学を果たしました。パティシエになりたいと!
卒業式の日、その生徒の母親から、「この学校に決めて間違いなかったです。
よかったです。ありがとうございます」と涙ながらに言われ抱き合って喜びました。
昨日その生徒から学校に電話があり、「実習で作ったロールケーキを持って
行っていいですか?」と。授業が終わりその足で急いでロールケーキを持って
きてくれました。そして急いで持ってきてくれたのでしょう、汗だくで「試験のため
に作ったロールケーキです。食べてください。」と渡してくれました。
職員室に入って来た時、とても輝いて見えました。そして、あの本当に素敵な
笑顔を忘れることはありません。
想いが伝わる時。。。
2023年06月08日
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進学の希望があったにもかかわらず、家族を助けるために就職を選択
した生徒。高校2年生の時から職場体験、見学に積極的に参加して、
希望する就職先を決め、そのために準備をしてきました。
就職するために必要な知識、ノウハウを指導し、履歴書から面接の
シミュレーションまで多岐にわたりサポートし、奨学金支給の資金を
獲得し、経済的支援もしてきました。
見事希望の地元企業に就職が決まり、無事卒業し、今年4月から
社会人としてスタートをきりました。
4月の月末には、「先生、初任給いただきました。がんばります。」と
学校に電話がありました。
先週、その卒業生からたくさんのお菓子とお土産が届きました。そこに
そえられていた手紙には、「社員旅行に行ってきました。少しですが、
先生方、職員の皆様で召し上がってください。初めてのことばかりで、
アッという間の2カ月でしたが、仕事も社員の皆さんに優しくして頂いて
毎日頑張っています。」とありました。
なんというプレゼントでしょう。言葉では言い表せない感動でした。
言葉も丁寧で愛情にあふれています。。。。。
絶対に慣れないこと。。。
2023年05月30日
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外国に興味をもち、外国語を勉強して、外国人の中で長く働き、外国人の
知り合いも少なくなく、そこの文化にも興味があり、好きな食べ物もある。。。
でも、やっぱり、日本人にある、「義理」「恩」という概念がないのがきつい。。
わかっているけど、、、何度となくショックをうける。。。何度も何度も。。。
それでも私は日本人である誇りをもって、「義理」「恩」の概念を大切に
失うことはない。。
その概念がわからなくても、長くともに働いてきたブラジル人スタッフの中
にはそのことにシンパシーを感じてくれる人もいるのが救い。。。そこには
日本へのリスペクトがあり、好きで日本に住んでいる。。。
そんな外国人となら共生も可能。。。
知り合いも少なくなく、そこの文化にも興味があり、好きな食べ物もある。。。
でも、やっぱり、日本人にある、「義理」「恩」という概念がないのがきつい。。
わかっているけど、、、何度となくショックをうける。。。何度も何度も。。。
それでも私は日本人である誇りをもって、「義理」「恩」の概念を大切に
失うことはない。。
その概念がわからなくても、長くともに働いてきたブラジル人スタッフの中
にはそのことにシンパシーを感じてくれる人もいるのが救い。。。そこには
日本へのリスペクトがあり、好きで日本に住んでいる。。。
そんな外国人となら共生も可能。。。
ふと思うこと。。。
2023年05月29日
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経済的理由で卒業後すぐに進学出来ず、仕事をして進学費用を貯めて母国に
帰国して進学する卒業生も少なくありません。
3年前に卒業した生徒から近況が届きました。本校在籍時からパイロットになる
夢を語っていた生徒でしたが、卒業時はコロナ禍の真っ只中で母国に帰国が
できず、日本で就職してお金を貯めると聞いていました。
その生徒がパイロットになるための学校に進学し、操縦の練習の授業で彼が
操縦して空を飛んでいる写真を送ってくれました。うちのスタッフからは、夢に
向かっているね、と喜びの声が上がりました。
また、別の卒業生で、中学卒業まで日本の学校に通って本校に転入してきた
ブラジル人生徒はポルトガル語が苦手で日本語を常用していましたが、日本
の学校での成績は高校に進学するには難しい状態でした。
ポルトガル語ができないと本校の授業は難しく、気力が失われていくと1年遅れ、、、
また遅れてしまうところをなんとかできるようにサポートしていきました。全教科
は無理でもなんとか。。。そして卒業までこぎつけ、希望していた専門学校に
進学できました。進学後の様子を保護者に聞いたところ、一日も休まず元気に
通っている、と。この保護者には卒業時に、この学校のお蔭で救われました、
本当にありがとうございました、と喜んでいただきました。
ふと、この学校も役にたっているのだと感じる瞬間です。
多様性と個性
2023年05月12日
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グローバル、多様性、なかなか聞こえのいいワードですが、私は
あまり好きではありません。そこに国家観はあるのでしょうか??
本校は南米系日系人学校ですのでので、生徒たちはブラジル人、
ペルー人である南米の子どもたちです。授業は本国教育省指定
のカリュキュラムに従い、本国で認可されている教科書を使用し、
本国で教員免許と経験をもっている教師たちが教えています。
母国語はもとより母国の文化、歴史を教え、独立記念日のような
母国の大切な日をお祝いし、毎週月曜日の朝礼では国歌斉唱を
します。国歌は南米系日系人である子どもたちのルーツを大切にし、
ブラジル人生徒はブラジル国歌と日本の国歌、ペルー人生徒は
ペルー国歌と日本の国歌を歌っています。
日本にある外国人学校として、子どもたちが日本での生活に困る
ことのないよう、日本社会での共生をテーマに日本の文化、習慣を
大切にし、日本でのルールを教え、「しつけ」に重きをおいています。
同化でもなく多文化主義でもなくムンド校独自の「統合政策」と名付けて
います。
母国に誇りをもち、相手の国をリスペクトし、互いを大切にできることを
目標にしています。根っこを大切に、個性を大事にしたいと思います。
大切なもの
2023年05月12日
カテゴリー |
今年は日本とペルーは外交関係樹立150周年の年です。そして、ペルーは
日本人移住を南米で最初に受け入れた国であり、1899年第一回移民790人
が船で海を渡り、その後も多くの移民船がペルーに向かいました。
現地には日系人学校も何校かあり、私はペルーに行くたびに日系人学校を
訪問、見学させてもらいました。また、日系コミュニティもあり日本語、日本文
化継承のため様々な活動があります。
そこでは古き良き日本を感じることができ、日本でいる時よりもむしろ日本を
感じるように思っていました。
今年、日系社会のある中南米11か国の日系校で、日本語に携わる方を対象に
日本語指導レベルの向上を目的とした国際セミナーがペルーで開催される予定
でお誘いの話がありました。「中南米の日系校等では「根気」「しつけ」「連帯」
「思いやり」など、日本で使われるこらら価値の日系社会での継承を大切にして
います。日系の教育機関等でこれらの価値を継承していくことの重要性が確認
されています。」ので、そのセミナーでそのことに触れて話を、というオファーが
ありました。とても嬉しいことです。南米系日系人学校である本校の教育方針
にもそのことが根底にあります。
海を渡った日本人の子孫たちは日本語、日本の文化を継承し、日本人としての
誇りを受け継いでいくことを大切にしている一方で、今日本で起こっている日本
そして日本人にとってそぐわない様々な事に胸が痛くなりました。
子どもの本音
2023年03月29日
カテゴリー |
2年ほど前、他の外国人学校から転校してきたブラジル人男子生徒。
母子家庭で、母親が前在籍校で問題だらけでどうしようもなく本校に
転入させました。
こちらに入学してからも担任教員の指導を受けることも度々でしたが、
少しずつではありますが変化していっているように感じていました。が、
表情の変化はあまりなく、笑顔を見たこともなく、、クールといえばクール
ですが、いつも喜怒哀楽のない表情が気になっていました。
一昨日ブラジル本国の議員9名が本校を訪問され、生徒たちと交流しま
した。議員の一人の方からの質問で、「ブラジルと日本と行き来して困った
こと、感じてることがあったら教えてください。」と。すると、その生徒が手を
あげて自らの体験を話しました。「僕はブラジルで楽しく暮らしていたのに
母親の都合で自分の意志とは関係なく日本に連れてこられました。日本
にきてから辛くて心をずっと閉ざして、母親に反抗してきたし、日本語も
勉強したくありませんでした。随分と時間が過ぎ、今はブラジルに帰らず
日本にずっと居たいと思っています。」
その生徒の言葉を聞いた議員の一人が生徒の気持ちを慮り、涙ぐんで、
「お母さんはあなたをもっといい環境に、いい機会に恵まれるようにその
行動をとったのだと思いますよ」と。
母国を出て外国で生活するということは、親は覚悟が必要で、子どもの犠牲
がともなうことが少なくないです。。。。
やるせない思い。。。
2023年03月28日
カテゴリー |
日本生まれのブラジル人の子が保護者と一緒に本校にやってきました。
母親は、「ここの学校は母国語も日本語も両方しっかり教えてくれるので是非息子
を入学させたい」と、ありがたいことです。しかし、息子本人は望んでいない様子。。。
親子の話を聞いていくと。。。親ー「近い将来ブラジルに帰るのだからポルトガル語
がわからないと困る。家族皆ブラジルに帰るのだから。」親としても苦しい思いです。
息子ー「。。。。。。」
生まれてからずっと日本で、日本の学校でのみ勉強してきているので、国籍はブラジル
でも簡単にブラジルの学校に転校してくるのは容易いことではないですね。せっかくの
バイリンガルになれる環境だからもったいですし、母国語を習得することは自らのルーツ、
家族との繋がりのためにもとても大事だと思います。
息子は目を真っ赤にして、「僕は保育園からブラジルの保育園に入りたかったし、
ブラジルの学校で勉強したかった。でも日本の学校に入ることになった。そして今度は
ブラジルに帰るからブラジル人学校にって、、、」
息子の思いももっともです。。。。。